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「へんこ」を貫くごま職人 山田康一
山田康一 プロフィール
1961年生まれ。
名古屋学院大学経済学部卒業後、大手冷凍食品会社に5年間勤める。
1989年に、祖父の代から受け継ぐごま油作りを再興させる。
1993年、有限会社山田製油の社長となる。
2002年、南丹市日吉町胡麻に製造の拠点を移し、日吉町を始め全国でのごま無農薬栽培も開始。
2007年、株式会社化。桂本店の隣にイタリアンごま料理のレストラン「ピッコロモンド・ヤマダ」を開店。
1961年生まれ。
名古屋学院大学経済学部卒業後、大手冷凍食品会社に5年間勤める。
1989年に、祖父の代から受け継ぐごま油作りを再興させる。
1993年、有限会社山田製油の社長となる。
2002年、南丹市日吉町胡麻に製造の拠点を移し、日吉町を始め全国でのごま無農薬栽培も開始。
2007年、株式会社化。桂本店の隣にイタリアンごま料理のレストラン「ピッコロモンド・ヤマダ」を開店。
【ごま製品は香りが命】
山田製油のごま製品は香り高いのが特徴です。この大切な「香りは」最初の焙煎で決まります。
ごまの状態や気候によって微妙な調節が必用だから機械任せにはできません。
【へんこなまでにこだわる手仕事】
工場内には人に見られて困る様な秘密はありません。他社では薬品による抽出や脱色などが行われていることもありますが、
昔ながらの製法で、真面目に誠実にとへんこなまでに手仕事にこだわり、
他の人たちが面倒がってやらないことでも、時間をかけて地道に丁寧にすることで、おいしいものができるのです。
【健康を取り戻した創業者が世のためになる食品に目を向ける】
昔々、創業者である、私のおじいさんは、身体の弱い人だったのですが、日本の自然食の草分けである桜沢如一氏に出会い、玄米食で健康を取り戻す事ができました。その時おじいさんは桜沢氏に「世のためになる食品を作らないか?」
と勧められました。
元気になったおじいさんは、色々と考えた後、ごま油を作りはじめました。
【へんこじいさん】
その昔、玄米を作っていたおじいさん、土地の水がよくないからと自分で井戸を掘り、その専用井戸水で米を作ったとか。その上自分の田んぼで近所の子供らが遊んで稲が害にあってたまらん・・・と田んぼの畔に電流を流した有刺鉄線をはりめぐらしたという。こんなおじいさんが作ったごま油。そんじょそこらのごま油とはわけが違う。
昔ながらの手作り製法で、へんこじいさんのこだわりは今、三代目にしっかりと受け継がれています。
【山田康一、冷凍えびを売り込む時代】
以前に大手冷凍食品会社で冷凍えびを仕入れてスーパーに売り込む仕事をしていた頃があります。その当時、仕入れたえびを漂白剤や脱臭剤に漬け込む事に、疑問や納得できない気持ちを抱きながらも「仕事だから」とやっていました。
しかし、あるときふと
「俺のやっている事は、おじいさんのしていたこととまるっきり反対やな・・・。あかん!おじいさんのように身体に良いもの、人に誇れるものを作らなっ!」と、思い約5年勤めた会社を辞めてごま屋の道を受け継ぎました。
【ごま油作りを始める】
早速、埃をかぶり眠っていた機械を整備し、大学時代から励まし支えてくれていた現在の妻と二人でゴマ作りを始めました。【売れない時代】
基本的な作り方は中学の頃から手伝っていたのでわかっていましたが、すべてが手作業なのでできる量はしれており、販売ルートもつかめず、1、2年はほとんど売上げもなく運送屋さんなどでアルバイトをしながら続けていました。途中、何度かめげそうになったときもあり、昔のつてを頼って価格を大手メーカーにあわせれば納品もできると考えた事もありましたが、
妻の
「一生懸命いいものを作っているんだし、それはやめとこ」
という言葉に励まされ、自然食品店を一軒一軒回りました。
【人から人へ伝えられ】
そして7年ほどの歳月が経ち、自然食品店や、本物志向の料理店などから注文が相次ぐようになりました。食に対する関心が高まってくるとともに、私どもの考え「へんこ」に賛同してくれた大手百貨店、スーパーなどの取引先も増え、個人のお客様からも嬉しいお言葉をいただけるようになりました。
2007年には、
「体に良いだけでなく、とってもおいしいごまをもっともっと食卓に登場させてほしい。揚げ物や炒め物だけでなく、生でも食べられるということを実際の料理で提案していきたい。」
そんな想いがつのって、へんこ山田は「ピッコロモンド・ヤマダ」というイタリアンレストランをつくってしまいました。
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