本日は、今話題の太閤堤を激写!
太閤堤ってなに? これは、豊臣秀吉が宇治川に築いたとされる石積みの堤防のことです。
発掘現場は宇治川東岸にあり、京阪宇治駅と三室戸駅の中間で、京阪線と宇治川の間にあります。現場は、新興住宅地で3箇所の発掘穴がありました。最初は単なる住宅地の工事現場にしか見えず、「本当にこれかいな。」と疑いの眼差しで見ていましたが、その近くにテントがあり、その上部に「日本考古学調査・・・」と書かれていたので これだ!間違いない。 ということで近くにより写真をパチリと撮ってきました。
左の写真は、西岸から発掘現場を望んでいます。こんもりとした林の右側にあるのですが、見えませんね。
因みにこんもりとした林は、菟道稚郎皇子御墓です。
菟道稚郎王子は、応神天皇の子で、後の仁徳天皇である大 鷦鷯尊の弟にあたります。
応神天皇は、ことのほか菟道稚郎皇子を可愛がり、自分の後継者として指名する。応神天皇が崩御後、菟道稚郎皇子は兄を差し置いて天皇の位に就くことを良しとせず、自らの命を断つ。これを聞いた仁徳天皇は、この地に墓を作ったとのことです。しかし、この御墓には、いろいろな説が存在し、多くの方が研究されているようです。
話は横へ逸れてしまいましたが、元へ戻し下の写真が太閤堤です。 現在の宇治川よりも東へ30メートル程移動していたようです。
ただ石が、ごろごろしているだけに見えますが、よーく見ると石が綺麗に積まれていることが分かります。
昔の人は、重機も無く人力で大きな石を担いできたのだから相当な力持ちだったんでしょうね。すごいの一言です。
宇治だけが「いにしえの町」ではなく、城陽も更に古い遺跡が多くあります。次回は、城陽の古代をお届けしたいと思っています。
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